設立経緯と活動への思い
アートを通じて企業との「つながり」や障がい児者や、病と闘う子ども達に豊かな日常と社会参加する「場」を提供していきたい
特定非営利活動法人アートコネクトしずおかは、アートを通じて障がい児者やがんなどの難病と闘う子どもたちを支援し、地域社会や地元企業をつなぐ社会貢献活動を行っています。
「障がいがあるが故に、彼らの活躍の場や発表の場はとても限られてしまっている。
この状況を地元企業の皆さまと一緒に考え、打開していきたい」2017年5月の発足から障がい児者に寄り添い、その家族に対しても精神的なケアを考えながら真摯に取り組む地域貢献事業が評判を呼び、社会課題の解決に取り組む企業やNPOに関心のあるZ世代と呼ばれる若者からも確かな支持を得ています。
(ビジネスレポート 2022年4月20日号 遠藤次朗 インタビュー記事より)
1. 世の中のそのほとんどが「不平等」という考えから
まず最初の前提として私は、世の中のそのほとんどが「不平等」の中にあると考えています。
では反対に「平等なこと」とは一体何でしょうか?
それは「経過していく時間」と「生けるものはいつか必ず死ぬ」というふたつだけなのではないのでしょうか。
人は生まれた瞬間から望む望まぬに関わらずさまざまな運命を背負っています。
例えば、生まれついた環境は選べません。貧富や格差に大きく左右される生活環境や家庭環境、国籍や場所、人種や定められた習慣、更には容姿から才能や能力、精神や心の状態、男か女かに至るまで。
そして、健康状態や障害の有無も同様です。
生まれた時から大病や障害を負い、治療を余儀なくされている乳児もいれば、不摂生極まりなくタバコやお酒が大好きなのに元気でピンピンしている高齢のお爺さんもいる。
これらの事象以外にも、考えられる「不平等」にはきりがありません。
何がこうした違いを生んだのでしょうか。
残念ながらそのことに関する明確な答えはどこにもありません。
人は生まれながらに与えられた運命を受け入れて生きていかなければならない。だからこそ人は支え合わなければいけないのだと思います。
誰のせいでもない。ただそうなっただけ。理由や答えが無い中、果たして自分の人生はどうなのか。そして自分に何が出来るのか。ただそれだけを問う日々です。
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私の場合も、例えば目の前にカーテンみたいなものがあって、そこをシャッと開けて入ると、別の暗い世界が拡がっていた、そんな感じでした。
そこに行くまでに長いトンネルのようなものがあったわけではなく、シャッって開けて中に入ると、目の前に病気で苦しんでいる人とか、悲しんでいる人とか、明らかに大変そうな人たちがそこにいる。
ああ、こういうことって、突然やってくるんだ…と愕然としました。
それまでは「悪いこと」って、健康もそうですが、だんだんと悪くなっていくものだと漠然と思っていました。
でも本当は、本人の意思とはまったく関係なく、突然襲いかかってきてあれよあれよという間に飲み込まれていく・・・
悲しみや不安、恐れ、不自由に直面して初めて見えてきた世界。
今まで「当たり前」だったことが「当たり前でなくなった」この当事者にしか感じえない絶望感や喪失感。そしてその現実を受け入れた感覚こそが今の活動の原点となりました。
突然の電話から始まった苦悩の日々
2005年に妻の調子が悪くなって、どうも病気らしいという突然掛かってきた1本の電話がすべてのはじまりでした。
個人病院では手に負えないとかかりつけの産科医が総合病院に転院する準備をしてくれましたのでそれなら大丈夫だと安堵しました。
その時はまったくの無知で「病院」とは一体どういうところなのか皆目分かりませんでしたので、大きな総合病院の先生が見てくれるなら大丈夫だと思っていました。
しかしそれが全然大丈夫ではなかったのです。
妻は流産後、非常に稀な病にかかっていました。
放っておけば命に係わる病でした。
総合病院を紹介されましたので大船に乗ったつもりでいましたが、思うような成果がでないまま体調は一向に改善せずに苦しい治療が続きました。
すぐに退院できるだろうと思っていた入院は長期に渡りました。
妻に寄り添い病院に詰める生活が日常となった時、そこで目にしたのは、患者が病棟に溢れ、医師も看護師も日々目まぐるしく診療や看護に追われる中、患者ひとりひとりに十分に寄り添ってはいられないという逼迫した状況でした。
そこで初めて「これが病院の実態なのか!?」と想像もしていなかった厳しい現実を目の当たりにしました。
結局、恩人の計らいで別の総合病院へ転院し、専門の医師に診てもらうことで症状は改善されましたが、この病がもととなってその後も治癒、再発、別の病へ移行したことによる入院・手術を繰り返すことになり、次々に襲いかかる病を乗り越えてきました(2024年6月30日逝去)。
こうした実経験は、病気や障害を抱えるご本人はもちろん、支える家族や支援者の気持ちをも身をもって知るきっかけとなりました。
病室での出来事
ある時こんなことがありました。
毎日のように病院に詰めていた私。夕暮れの薄暗くなった大部屋のベットの傍らで横たわる妻と話をしていました。
隣のベットとの境界はカーテン1枚。話している言葉が筒抜けのプライバシーの無い空間です。
しばらく声を潜めて妻と話していると、一つ隔てた壁側のベットいた60代の女性患者が泣きはじめました。
まるで子どものようにしくしく泣いています。
看護師がそれに気が付いてその女性に話しかけました。
「どうしたの?」
するとその女性はいいました。
「昔、私の旦那も私にとっても優しくしてくれてたのを思い出しちゃって…ごめんなさい。旦那はもういなくなっちゃったけど・・・。私、辛くて・・・」。
私はそれを聞いてそっと病室を後にしました。
病院では点滴を引きずって歩く痩せた男性、車いすの女性、泣き叫ぶ幼子を抱き不安で天井を仰ぐ母親、そしてパジャマを着た長期入院している幼い子ども・・・。さまざまな人間模様が日常的に繰り広げられていました。
このやり切れない思いはどうしたら癒えるのでしょう。
私自身も検査や治療を待つ待合室で、絶望的な医師の言葉の恐怖や先の見えない不安、降りかかる試練の理不尽さにひとり耐える日々を送っていただけにこの日常に疲弊していました。
心細く不安な心情の中「大丈夫だよ」と一言でいいから声をかけてほしい。
勇気が湧き、前向きになれる言葉が欲しい。
気が付けば心が安らぎ笑顔になれるきっかけを必死に探していました。
不安に悩み、迷い、苦しんだこうした時間は「障害や病」に真剣に向き合うきっかけとなりました。
2. 偶然入った展示会で衝撃の出会い~理想のかたち
障がいがあるから(可哀想だから)見てあげよう、買ってあげよう。いつの時代にもあるこうした気持ちは他人を思いやる気持ちとして間違ってはいないと思います。そこに並んでいる作品や商品が、障がいのある人の手によってつくられたものであり、多少つくりが稚拙であったり、完成度が低くても「助けるつもりで」購入する。この思いやりの行動に間違いはないと思います。
しかし、「芸術」というフィールドは思いがけなく懐が深く広い領域です。明確な答えが無いのですから。故に立派な教育を受けている人の作った作品だけが素晴らしいという浅い観念は通用しません。障がいのある人の特異な才能や集中力、ユニークな発想や驚きの表現に感動してください。無垢で豊かなその表現は人の心を虜にします。このフィールドではすべてが平等なのだと思います。
正直言いますと、「障がいのある人が〇〇した〇〇です」という表現が嫌いです。それはフラットな感覚で素直に接して欲しい芸術の領域を侵害する表現です。ここでは健常も障害も関係ないのです。良ければ良いしダメならダメの単純明快な世界であると考えます。
現に私の障がいのある作家との出会いは衝撃でした。まさにこの出会いこそが理想であると今も思っています。私の芸術の世界は確実に広がり、豊かになりました。毎日が楽しく、今でも感謝しています。そして今、この感動を是非皆さんにも感じて欲しい。心からそう願い活動を続けています。
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運営するギャラリーで展示する作家を探していた私~
その素晴らしい作品を描いていたのは知的に障がいのある女性だった
当時様々な悩みを抱えながら日々奮闘していた頃、静岡市葵区伝馬町のデザイン学校(藤江学園ノアデザインカレッジ)の地下に「ノアギャラリー」を立ち上げ、その運営を模索していました。
静岡は芸術文化へ向ける意識が、東京などの都市部と異なり「特別なもの」「高尚」「敷居が高い」と感じる風潮がまだまだ色濃く残る街だとどこかで感じていました。
私は「静岡の新参ギャラリー」をどう軌道に載せるかを必死に模索していました。
東京の銀座をはじめとした一流と言われるの画廊やギャラリーを巡り、その展示内容や手法、運営方法、一流ギャラリーの魅力はどこから来ているのか等、時にその運営者と会って話を伺ったりしていました。
意外にも画廊の方々は(自分が静岡のギャラリー運営者だと名乗ると)好意的に接してくれた上に(時にお茶などを出してくれながら)親切にアドバイスをくれたりもしました。
その話の中で良く出たワードがありました。
それは「素晴らしい魅力的な作家とめぐり会うこと(見つけること)」の大切さでした。
展示手法や雰囲気、広報やマネージメントばかりに気を向けていた私にとってその言葉は目からうろこが落ちた瞬間でした。
「良い作家に巡り合って企画展開催のお願いしてみよう。」
そう結論付けた私はすぐに作家アプローチへの行動を開始しました。
静岡にゆかりのある芸術家へ企画展示会を打診したり、作家の紹介から更に別の魅力的な作家を招いて展示会を開催したり、デザイナー仲間で企画した展示や、美術大学専門予備校のデッサン画や歴代の優秀作品などを展示する企画をしたりしました。
その他、ギャラリーが地下にあるため、芸術の敷居が高いと感じる人の「階段を降りてギャラリーに入る不安」を解消するために、誰でも気軽に参加できる「ノアデッサン・スケッチ・クロッキー(お絵描き)会」の企画運営も始めました。
こうした活動が実を結び始め、ノアギャラリーは(本当に少しずつですが)その認知を上げていきました。
そんな中、いつものように作家の展示情報を見ながら、お目当ての展示会へ向かう最中、静岡市民ギャラリーだったと思います。入るつもりもなかった市民ギャラリーの一室の入口に飾られている作品がありました。
それは心が感じるまま色彩を表現したかの様な、明るいマティス調のタッチが印象的な作品でした。
その絵に引き寄せられるようにその作品展の部屋に入っていきました。
色鮮やかで見る人を元気にしてくれるような、何より、作者の自由で何にもとらわれない無垢な表現が魅力の作品がありました。
「この作家さんと企画展をしたい!」
心が高揚しワクワクしていました。すぐさま受付の女性に
「ギャラリーの者なのですが、作家さんにお話しがありまして、是非うちのギャラリーで展示会をさせて頂きたいです。ご紹介頂けませんでしょうか?」
するとその女性は少し困った顔をして申し訳なさそうに言いました。
「無理だと思います。」
(やっぱりうちのような小さなギャラリーでは無理もないよな、断るのも当然か・・・残念だけど仕方ないな・・・)そう思いつつ、突然の申し出を謝罪する言葉を用意していると
「いえ、違うんです。この展示作品を描いたのは私の娘なのですが、彼女は知的に障害がありまして・・お話をお伺いするのは難しいと思います。」
「・・・・・」
(その瞬間、私の頭からパラパラパラパラ―と何かが剥がれ落ちていく感覚がありました。)
「もしよろしければ娘に絵を教えてくれている先生がおりますので、その先生にお話し頂けますでしょうか?」
私はすぐに教えて頂いた連絡先を元にその絵画の先生を訪ねました。
ここから私の現在に至る「新たな世界への旅」がスタートしました。
この活動を続けていくうちに本当に必要なもの、本当に大切なこととは一体何なのか。これまで気付かなかった世界が見えてきました。
活動を通して広がった新しい世界(視野)
「表現は平等である」。芸術で何かできることはないだろうか。心を癒し豊かにする。生きがいを育み、お互いを称え認め合える。
芸術は健常や障害の枠を超えて真の共生を生み出すきっかけになるはずです。
そんな思いからアートコネクトしずおかを立ち上げ今に至っています。
理念・ミッション
共に静岡の福祉の未来を創造していくために
福祉当事者ではない第三者の力が必要です
本法人は「すべては誰かの喜びのために」という理念の元、芸術スキルを活かした手法で福祉を豊にし、社会と繋げ、盛り上げる活動をしています。
活動を続ける中で、福祉当事者だけでは解決が難しい問題も多々あることが分かってきました。この解決に向けて全く異なる発想や視点、スキルを持つ「第三者」のアプローチの必要性を強く感じています。
我々はどこにとっても中立な立場を意識した「完全中間支援団体」として活動をしています。
活動には二つの大きなふたつの柱を設定し、それぞれに信念を持って事業を展開しています。
①ひとつ目の柱は、
障がいのある方のために。
障がいがあっても前向きな心で魅力的な素晴らしい活動をされている方が数多くいらっしゃいます。そんな方々の魅力を広く社会に知ってもらい、ファンになって頂くことで障がい者理解の促進と共生の社会を築く活動です。
②ふたつ目の柱は、
病を抱える子どもたち(支えるご家族や支援者)のために
幼くして病を患い、寂しく不安を抱える子どもたちがいます。病院では治療はできますが、子どもたちの「心」をケアする余裕もないのが現状です。保護者も同時に疲弊し、悲しみや不安を抱えているケースも多く、第三者の支援の必要性を多分に感じます。
こうした問題はなかなか行政や公的機関では解決できないことも多く、採択されても継続が難しく、一定期間のみの活動で終わるケースも多い為、持続した活動が望まれています。
また、こうした福祉を豊かにし、盛り上げていく活動を担う人材の育成もまだまだできておらず、未来に向けて育成し、福祉を豊にし、広げていく人材の確保もまた課題となっています。
アートコネクトしずおかでは、静岡のこれからを担う人材を育て、共に豊かな福祉の未来を創造していくこともミッションに掲げております。
素晴らしさや魅力を知って欲しい。そしてファンになって欲しい
広義な意味でのアウトサイダー・アートを通じて、障がい児者や病気を抱える子ども達とそれを支援する法人、個人との繋がりをつくり発展させていくことが私たちの使命と考えています。
実際に県内の福祉施設に訪問させてもらったりするのですが、そこにはキラキラ輝く人たちがたくさんいます。支援される方々のみならず、障害を持つ本人もとても魅力的。
この素晴らしさをとにかく多くの方に知って欲しい。一人でも多くの方にファンになって欲しいと思っています。
福祉と企業との接点に「芸術」を活用するということは、まさにぴったりな手法だと考えています。
独創的でユニーク、そして無垢で純粋な素晴らしい絵画たち
芸術の活用によって互いを認め合う真の共生、魅力を称えあう絶好の機会を構築するには、賛同くださる企業(個人)の皆様の力が必要です。
支援する企業側にとってもビジネス的なメリットが享受できるよう双方がウィンウィンになれる事業化のお手伝いをすることで、気軽に参入してもらえる場を創りたい。
「福祉」というと少し入りづらいイメージがありませんか?
もちろん大変なこともあります。でも私は福祉の世界の門は意外にも開いていると感じています。
そしてそこには「思い」を持った素敵な人達がたくさんいて、人を元気にする魅力を放っていたりするんです。
だからこれからも「福祉って何かおもしろそうだ!」「こんなに魅力的で素敵だったんだ!」と思っていただけるような企画を積極的に提案し、その「繋ぐ」事業をとにかく継続していけるよう尽力したいと思います。
皆さま、私たちと一緒にこうした取り組みを始めてみませんか?
こうした福祉への働きかけは、私たちのみならず社員も家族も皆共感・賛同し、お互いの喜びとともにきっと素敵な事象へと発展していくはずです。
今、静岡を盛り上げている企業(個人)の皆様の力が必要とされています。